男の一代記によって人生を考える

ここのところ「男の一代記」が、私の密やかなブームである。
宮本輝の「流転」シリーズなどがもともと好きだった為か、最近はもう、貪るように「男の一代記」ものを読んでいる。そもそも、ことのきっかけは友人に勧められた一冊の本。熊谷達也の『邂逅の森』だ。
簡単に内容を紹介すると、ある一人の「マタギ」の話である。
東北の貧しい小作農に生まれた富治は、当然、一族の伝統的な生業「マタギ」になる。しかし、地主のひとり娘と恋に落ちることで彼の人生は一変してしまう。村を追われ、マタギの職を追われ、鉱山で働く日々を送るが、狩猟への思いを断ち切れず、再びマタギとして山へ戻っていく。。。
最初は、自信家で鼻持ちならない印象を与える富治だったが、雄大な自然の脅威を前に、自身の存在をしっかりと見据え、次第に成長していく。そんな姿が、この530ページを超える物語を一気に読み薦めさせてくれる。
近年において、私たちは金銭的成功や人的な成功を夢見て、日々切磋琢磨しているようだ。ポジティブな方向を目指すことが悪いとは言わないが、ここらで一度、ポジティブでもネガティブでもないゼロ地点に目を向けてみるのはどうだろうか? 宇宙、地球、生物、大地、自然、、、。そして、家族、自分。そんな風に自分が最小単位になった時、失敗も成功もせず、日々淡々と生きることの素晴らしさが実感させられるのではないか?
もう1作紹介したい本がある。『橋のない川』と題された7冊にも及ぶ巨編である。
東京で生まれ育った私にとって、今まであまり知らずにきた「被差別部落問題」を取りあげた作品で、今日の部落解放運動の礎を築いた人たちの物語である。
とかく日本は「いじめ社会」である。「格差社会」が進行し、マスコミから毎日垂流される情報は、「成功談」と「失敗しない為の失敗談」とに大きく分かれているように思われる。もしも失敗すれば、その時には極端な「吊るし上げ」が待っているかのようだ。
「村八分」という言葉がある。私はこれまで「村の人が皆、誰かひとりを忌み嫌っていると思えても、実は2割の人はそうじゃない」と思っていた。しかし、最近知ったのだが、「村の人たちが全員で誰かを忌み嫌っても、村の行事の2割、つまり冠婚葬祭に関しては権利と義務がある」と云う意味も含まれるそうだ。
それは、最悪な場合であっても、「のりしろ」があるという事だ。私には、この「のりしろ」こそが、人間らしさではないのかと思えてならない。確かに、夢や希望を持ち、成功する事は素晴らしい。ただ、もしもその途中で失敗してつまずいてしまっても、けして終わりではないはずだと、この2作品は教えてくれるだろう。 |