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それいゆコラム
柴田香織氏 「PIAN PIANO」 スローフードの良さ、楽しさを知る。
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第9回 消える伝統、守られる伝統

現在通う大学はNPO団体である伊のスローフード協会が運営に関与している。といっても講義はスローフードを学ぶというよりも、食の分野に関わる知識を幅広く網羅した内容だ。例えば文化人類学、社会学とマーケティング、消費者心理学、コミュニケーションとジャーナリズム、感覚分析と科学、商標と法律、食文化の歴史・・。
この大学の設立がひとつのきっかけになったのか、他のイタリアの大学でも食文化について学ぶ学部を作るという動きが広がっているようだ。これまで食に関連するといえば、生産知識を学ぶ醸造学や農学、栄養学などの分野はあったのだろうが、このような括り方で体系づけようという試みは新鮮だし、興味深い。同僚達の中にも、食の分野での職務経験はないがコンセプトが面白いから来たいと思った、という人が結構いる。

十字架と共に行進する人々。

なぜ今さら食なのか?小さなコミュニティの中で、そこで作られた知ったものを食べている生活が続いていたら、とりたてて食について知ることは必要なかっただろう。食べるという事は日々の生活に密接した習慣で、わざわざ学問として捉えられる場所からは遠いところにあったはずだ。ところが今、他の情報や物と同様に、食材そのものや食についての情報は溢れ、選択枝が増えるという自由を享受する反面、選択肢に迷うという側面が嗜好性と安全性の面からでてきた。かといって昔の食生活に戻るのは不可能だし、仮に可能だとしても、それが今の社会状況でベストな選択だとは思えない。

 

現在の社会状況でよりよい選択が何なのか、何ができるのか、ということへの要求は自分の中にあるし、社会の中にもあるように思う。現段階で思うのは、スローフードというのは今の食生活に対する疑問や物足りなさへの社会的欲求に対し、解決策を探ろうという前向きな動きではあるが、その中には限界も妥協点もあるということだ。
例えば、伝統的な食材を守るということをスローフード協会はサポートしている。
スローフード協会から認定された食材はその伝統的な製法を詳細に記載され、守り続けることが約束され、資金援助される。まるで誓約書のように。協会がこの食材の広報をすることにより食材は脚光をあび、生産者の人々は経済性を得る。
「伝統というのはある地域の中でそこに住む人々によって育まれてきたものであって、長い歴史の中で少しずつ変化してゆくこともあるし、消える運命にあるものある。第三者によってレギュレーション化されたものは、もはや伝統の本来的な性質を失っている。」あくまで自分の意見として、と文化人類学の教授は前置きをしたが、この言葉はズンとくるものがあった。外側からやってきたものが、伝統的という判断をし、マーケットにのせて行く。そこには伝統性を含んだ商品が誕生する。確かにイコールではないだろう。これがいいのか悪いのか?私には判断がつかない。そうでもしないと、失いゆくものがあまりにも多いというのも事実だからだ。世界遺産の認定システムにも似たものを感じる。認定を受けることでその場所が観光地として経済的に潤えば、保護資金もできる。が、その反面、観光地化されたことで、人的に消耗される速度も速まるに違いない。どちらがよいのか?

子供達もキャンドルを持って行進。

ミサで見かけた天使のような笑顔。 パスクワのお菓子。卵型チョコ。割ってから袋をあける。

この週末、イタリアではじめてパスクワ(キリストの復活祭)を体験した。十字架、キリストと共に町を歩く人々。ミサ。子羊の肉。卵の形をしたチョコレート。パスクワ前にはお菓子屋さん、スーパー、至る所で大きな卵形チョコレートを見かける。卵の中には贈り物と呼ぶにはちゃちな、ちょっとしたおまけのようなものが入っている。このチョコも商品化された伝統?だろうか。余りにも至る所に溢れ、味気ない。
伝統にレギュレーションが加わった時、そこから零れ落ちているものがあることを私達はせめて意識しておかなければいけないのかもしれない。

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